冤罪

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長いストラップのついた日傘を襷(たすき)がけにし、

左手に杖をついて歩く老人がいた。

 

地下鉄のホームを端から端まで、ゆっくり行ったり来たりしていた。

電車が待ちきれなくてイライラする気を紛らしているのか、

リハビリはやっぱり、終日日陰な地下鉄のホームにかぎるのか、

よくわからないけど老人は、とにかくひたすら行ったり来たりした。

 

老人の左の靴は、右のそれとはカタチが異なっていて、

底あげされ、巧妙にそれとわからぬよう革張りされていた。

 

どうやら老人は、左足と右足の長さが違うようだった。

 

それはいいけど、じじいはベンチに座っている自分の前で

いちいち立ち止まって、こちらをガン見した。

 

知らない人に睨まれた時、のリアクションの種類は数あれど、

運悪く、過去に『右足と左足の長さが違うじじい』に見据えられることがなかったので、

どういう反応をすべきか、とても悩んだ。

 

2回目までは、ホームでたまたま中心にあたるこの位置で、一休みしているのだと

自分と世界間における、懐柔政策的な納得をしていた

(それは幽霊を見てもたあとの『ああ車のライトね、車いないけど』みたいな納得の仕方に似てた)

けれど3回目ともなると、なんかさすがに腹立ってきて睨み返した。

 

舌打ちとかため息とか、ロクなフィードバックもなく老人は

またキュッ、カツ、とおそろしく単調な音をたてて、歩き始める。

 

3往復目の、6回目。

 

変わらず同じやりとりが繰り返されたあと、

自分から見て左側20メートルくらいのところで、再び老人が立ち止まった。

 

じじいは乾いた音をたてて屁をこいた。

 

プヘっ、というガッツのない音が地下鉄構内の暗いエコーを纏って響く。

 

クヤシいけどそのとき唐突に

じじいを睨みつけたことをひどく悔やんだのだった。

 

ひとつの物事を知ろうとして、

本を読んだり誰かと話をしたりする。

それは静かで曖昧な経験のようなものになって、胸と腹に沈殿する。

経験はやがて外の空気に晒され判断の礎になるけど、

そうしてなされた判断はいつだって判断以上のものじゃない。

 

正しくも間違ってもいない、正解にも不正解にもなれないただの判断。

『経験した』個による批評や助言や応援や非難は、積み重ねられない小さな丸っこい石に似ていて

誰かの上に重なることなんてない。

 

そこに適当な間を置いて、ぽつりぽつりと並んでいくだけだ。

地平線の見えるグリッドもない平面に、小っこい石がランダムに散らばっている光景は

なんかまるで心に引っかからなかった。

 

ものの20秒で、顔面を鈍器で殴られたような衝撃。

 

くっさ。

 

あまねく若手を凌駕する、豪快な表現力。