ゲルトレ

終電が、大変なことになっていた。

目の前にいた黒人女性2人組が話しかけてきた。

 

話しかけてきたほうは、ブロンズの混じるドレッドで

1本だけある金の前歯が、あらぬ方向を向いていた。

 

話しかけてくると同時に

甲高い声でカントリーロードを歌い始めた。

 

立派な男はきっとこういう時、粋なリアクションをとるのだろう。

なんやろう。やっぱり手拍子やろか。

無理。

 

急なことなので脳みそのウィット担当部署まで接続できない。

そもそもそんな部位あったかどうか定かでない。

 

とりあえず心に草刈正雄を描いて、

鼻からあさっての方角へ息を抜くような感じで

 

「ふっ」とため息を漏らす。

 

頼むぞ、正雄。

 

そしたら女は、『ねえ、あなたここに住んでるの?あなたのうちに行きたいんだけど。』

正雄! いかんともしがたいことになってるぞ正雄!

 

まだ電車にのって2駅と停まっていない。

そして女は朝方の新宿の路肩くらい酒くさい。

 

こんな時、立派な男はどう断るんだろう。

さっきのこともあるし、草刈正雄は置いておこう。

岡田真澄? 話が複雑な方向へ展開しそうだ。

 

金歯を前に、人選にオタオタしてると、

次の駅で山ほどおっさんが乗ってきた。

 

 

そして、終電が酔っぱらいで埋め尽くされた。

 

 

壮絶な光景だった。

たかだか8メートルかそこいらの車輛だが、

酔っぱらいで埋め尽くされたそれは喩えるなら、

看守なしのハイテンション監獄。

 

まず、目の前の黒人女2人は共鳴する。

1オクターブくらい笑い声のピッチがあがった。

ゴスペルかと思った。

 

隣に座ったおやじは、車輛の一番向こうに座ったおやじに、

“kleine Pause !! Alles klar!! Gahahahahaha”
(意訳 : 元気があれば家も建つ)

と叫んでいた。

 

丸大ハンバーグの巨人みたいな、太くてよく通る声だった。

 

駅にいたセキュリティーは、やれやれまただよ、と

乳飲み子の寝顔を見守る両親みたいに、あたたかい笑顔でこれを放置。

いや、助けてくれ。ください。

 

ほうほうのていで電車を降りると、

閑散としたいつもの駅のいつものホーム。

 

アルバム制作がスケジュールどおり進まなくて

苛立ったり煮詰まったりしていたのが、

いつの話だったか忘れそうになった。

15分前や。

 

ちょっと終電に感謝。

 

うそ。しない。