object

wegfus.jpg

 

イキも凍る朝、イキなのか煙草の煙なのかわからない曖昧な白を目で追った。

 

凡常と惰性に溢れた、或る朝の1パートにて

バチちバチんゆう乾いた羽音と、間の抜けた真摯さが交錯するので

頭上を見上げると、たゆたってた煙ガ唐突に目にしみる。

 

ぶしゅ と漏らし、目をつぶる。

 

揶揄なのか比喩なのか、ようわからん表現がある。

 

バカと煙は高いとこ ™

 

街灯を覆う円錐形の傘のてっぺんで、
ミツバチが、ひたすら頂上一点を目指していた。

 

ガツンガツンと自由を求める体当たりには、安堵と共に迎える終止なんて、あるべくもなく。

 

疲れてちょっと高度がおちれば、たちまち眼前には360°選びようもない自由を得られることを、彼は知らない。

 

いつかハネが破れ なにもかも終わるとき、

 

一体じぶんを遮っていた壁がなんだったか、わからなくなるような茫漠な大地で、彼は永遠になる。

 

そっちには蜜ないゆうたやんけ。

 

ゆうてないか。

 

なんも知らんのんは、キミだけちがうか。

 

///

ことわざや慣用句、国語辞書をひたすら覚えつづける、でたらめな幼少期を過ごしたので、

目から入る情報がいちいち先人のマーフィートリックにひっかかる。

 

個人やワがの感情、己というものはそのたびに霞がかって影になる。

 

ワラベウタが決して個人によって作られることがないように、
歴史はいつも、顔のない”集まり”ゆう怪物によって彩色される。

 

ときにはコントロールできないほどの、個の熱情でさえ。

 

昨年の冬、ベルギー・スペインツアーの流れで、韓国アーティスト二人がウチに遊びに来ていたとき、
韓国のことわざと日本のそれを照らし合わせて、その多くが被っていることに、徹夜ではしゃいだ。

 

見覚えのない、耳なじみのないのんに至っても、
あー、、ていう慣用句独特の、毒にも薬にもならん感はおんなじ。

 

トラは皮を残す ヒトは名を残す

 

名前のない顔がつむぐのは、
時間のふりをした孤独と、脆弱でだだっぴろい思い。

 

ヒトにいうのが恥ずかしいけど、大学でドイツ文学を専攻していた。

いまだ、道に迷った老婆に然るべき引導も渡せず、倒錯した言葉の羅列で路頭に迷わせるけれど。

 

トマスマンの原文、最初の1行の3つめの言葉を辞書でひいたとき、8個くらいあちこちを向いた意味があって、
ジャガイモとビールとカントリーとお城とお姫様的女の子、で歳をとってない自分は、2秒であきらめた。

 

10も歳の違うこちらで育った女の子と、カフカの話をしていたとき

教科書で読んだことあるんだけど、と彼女は言った。

 

『ご飯食べるとき、”いただきます”って言うでしょ。あれドイツにはない。そういうとこ。』

 

言葉には目もくれずミツバチは、鉄でできた幸福な死を蔑んでいるのかもしれない。

 

ほんとうに大事なのは勝ち負けじゃないんだよ、とかいうのが苦手なのかもしれない。

 

ちょっと。

 

おれも、高いとこ超すきー。

(吊り橋の真ん中、ふるえる脚で両の手すりをむんずとワシづかみ、うわずる声で)