レ・クリエ意図

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レクリエーション、という言葉の意味を知りませんでした。

 

小学校のとき。

N君という、あんまり目立たないけど別にいじめられてもいないモノ静かな子がいて、

クラスのお楽しみ会で、彼は一人その『レクリエーション』の受け持ちになりました。

 

 

学級委員長がワラ半紙から黒板にうつしとった文字のなかで、

その字面だけが唯一、アカ抜けた感じがしたのですが

意味分からないって言うのが恥ずかしいので、誰も触らなかったのです。

 

 

王様が裸だって言ったのはコドモらしいですが、そんなのウソです。

コドモは知ってます。

まちがっても、ねらって社会をくだき、真実をかたって

嘘つきに負けに行くほど、愚かではありません。

 

社会性の欠如を咎められるくせに、イノセンスを崇められる

そんな不条理への報復の仕方くらい、本能的に心得ています。

 

くだらないオチにつかわれるのは、大人より腕力が弱いからです。

 

僕は、今も昔も日和見星人なので、クラスの人気者やマドンナのいる『劇』に参入して、

出番が3秒くらいしかない『校長先生』という役をやりました。

台詞は『やめなさいよ君たち。』でした。

3回も練習したのに、かみました。

 

 

さて、N君の『レクリエーション』の時間がやってきたのです。

クラスの皆が体育座りで円になるなか、

細長くて真っ赤なラジカセを持ったN君が、教室にはいってきました。

 

N君は、前フリも愛想もなく、ラジカセのテープを再生します。

そこから流れてきたのは、どこで入手したか昭和初期のラジオ番組。

当時流行したシャンソンを紹介する古びたプログラムだったのです。

MCの やけにじっとりした声のおじさんが、ボソボソと喋る声が

テンション低くて、圧倒的に不気味でした。

 

N君は、聴こえにくいのにボリュームをあげず、

ソコに猫のようにうずくまって

耳をぴったり、ラジカセのスピーカーにあてました。

 

しばらく皆は、不安と、えも言われぬ いたたまれない感情を持て余しながら、

固唾を飲んで、その様子を見守っていました。

 

かすかに聴こえる、古い歌声とN君の息づかい。

 

そのとき、N君は言ったのです。

 

 

『、、、これこれ。このおばさん、声たかいんや。』

 

 

皆の緊張はほぐれるどころか、

予防接種を受けにいったら、唐突に余命宣告をされたような

明日の見えない状態になりました。

 

隣に座っていた初恋の女子、Kちゃんにいたっては、先生に

『先生、ねえこれが、れくりえいしょん? れくりえいしょんってこういうの?』

と、不安そうに聞いていました。

 

先生は、ものすごく曖昧な返答をしていました。

 

N君は、そんなクラスの皆の

静かなどよめきと冷や汗と苦笑い、居直りや居眠りをものともせず、

5分ごとくらいにぽつり、ぽつりと独り言のような突っ込みをラジオに入れて、

30分の持ち時間を完璧に全うしました。

 

一瞬にして『お楽しみ会』の言葉の意味さえ失ってしまったその教室で、

N君はニコリともせずに一礼して、ラジカセを持って退場しました。

 

 

気まずいから、できればもう帰ってこないでほしい

 

 

担任の先生ですら、そんな風に考えてるような気がしてなりませんでした。

あんなに感情のこもっていない投げやりな拍手は、あれから一度だって耳にしていません。

 

 

僕は、今でもレクリエイションという言葉の意味がよくわかりません。

わかりたくない気持ちが、少なからず成長や『”本当”を知ること』を邪魔してるかもしれません。

 

N君の陰気くさいレクリエーションが、どこかへ追いやられてしまうことに

感傷的な気持ちになってるだけなのかもしれません。

 

僕は正直、N君のことが好きでも嫌いでもありませんでした。

ただ、時々突然振り切ったようにテンション上がって、

どこぞのエロ親父みたいな下品な笑い方をするN君は、大好きだった。

 

記憶というのは、自分が自分である事の証明にもならないどころか、

それが本当に必要か必要でないかさえ、自分以外によって決められています。

 

けっして忘れたくない思い出なんて、

ホントはけっこう、一瞬で忘れてるのかもしれません。

 

『忘れられない』気になってるのは、

『忘れたくない気持ち』がなし得る、孤独で切実な “ふり” なのかもしれないです。