drumming_sum
クラシックのパーカッショニスト、ドイツ人の2人組から、音楽の依頼。
とりあえず制作期間が短すぎるし、アルバム制作がたてこんでるので
今月末、状況みて再度打ち合わすことに。
リファレンスとしてもらったCD。
『おれらでも一回聴いたらもう聴かない。てか半分くらいでいい。』と自称するだけあって
その圧倒的なストイックさに口が開く。
フェイバリットパーカッションとかある?て尋ねると
2人ともちょっと考えてから、”シンバル”(2つ持ってバシャーン!てやるあれ)て言った。
ストレス?なに?
デシベル(音の大きさ)でいうと、飛行機の離陸時の轟音と同じくらい(!)だという。
絶対前で演奏したくない。
荒井注かよ。
たとえば曲中一回しか叩かないゴング、
一回しか叩かないゴングの為に彼らは鬼のように練習する。
そこには、『素晴らしいタイミング』とか『目をむくような激しさ』ゆうのが存在する。
そもそも音に、感情なんてない。
感情を込めて演奏することはできるけれど、
音そのものが感情を持っているわけじゃない。
悲しい音・楽しい音なんじゃない。
そう感じるとしたらそれは、
今それを聴いてる人間が、耳から入った音波をオノレの脳みそで再構築した、新しい物語だ。
演奏者の、ヨダレでそうな恍惚とした表情を黒い布で覆えば、
残酷で圧倒的な振動だけが残る。
ただそこには鼓膜と、記憶と、感じる心がある。
アナライザーは、その緑のラインを鼓動のように震わせるけど
それはけっして生命ではなく、ホモサピエンスよりずっと前からそこにあって、
ニンゲンは左右の耳からはいってくるそれに永遠の?マークをかざしながら
地上からいなくなるまで、ワタワタしたりニヤニヤしたりする独り相撲。
無響室での喘ぎ声に色気があるか尋ねられる。
無響室でセックスしたことないのでわからないけど
ただでさえ、この世で最も孤独なコミュニケーションたるセックス
『空気が勝手にうたうウソ』さえない世界でやってしまったら、
死にたくなるんじゃなかろうか、と思った。
絶対したくない。無響室でセックス。
するなら、トンネルとかがいい。
現場のおっさんプチぎれ。
誰もいなくなった星のうえで風が大地を舐める音。
それは ビュぅー でも ゴゥォー でも、ないのだと思う。
そこにはもう耳がない。
感じる個も、”真実”にあらがう嘘もない。
ワタワタ継続。