たんぽポ

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そもそも苦しいのって、ヒトビトがオノレ自身に与える名前な気がする。
自分らしさ、とか考えてる暇があったら、
果てしなく無意味なよそ見をいつまでもしてたい。
答えがもしあるのであれば、
その答えを求めることだけはしたくない。
マイ定規を打っ立てて安心してる場合やない。
自我を正確にハカッたとこで、伸びてなんかない。

 

選挙カーのおばちゃんが拡声器ごしに届けた
『ぼくぅ、ありがとねっっ』。
振りまいた営業スマイルに救いを確信して
となり町まで自転車で追い掛けた あの日と、
自転車に乗りミニスカートの裾を風になびかせる女の子のパンツを追って
異国の路地で迷子になる現在、
知らない場所で感じた気持ちも、見える景色も
なにひとつ変わらない。

 

もしここに自分の意識なんてものが存在するんなら、
それはアスファルトに着地したタンポポの綿毛みたく
意義も価値も目的も理由も無い、暗澹とした無名の闇なのだと思う。

 

自分自身である、ということと
この世界が在る、ということには
イッペンの拘わりもなく、
そしてそのどちらも、あまり重要なことじゃない。

 

つまんで拾い上げた綿毛を、街路樹の土の上に置くと
風が巻き上げて、通りを行き交う車の波に翻弄された。

 

それはいつかきっと、
選挙カーを下りて家路につくおばちゃんの赤いハイヒールに
世界の影を映すのだった。

 

終わりも、始まりもない。
おばちゃんの買った3個100円のコロッケと一緒に
デタラメで遠い記憶になって世界を支配しつづける。

 

昨日食ったものを思い出すついでに、
世界がもうずっと昔に葬った名前を思い出そうとする。

 

ほんとに努力と呼ばれるべきものは、きっと努力になりえない。