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目が5つある巨大なうさぎが
ガーベラのように花弁のくっきりした花の中心をこちらに向け、
もっそ感慨ない感じで佇んでいる夢をみた。

 

うさぎがどこ見てるんかようわからんかった。

 

意識遠く焦点も合わず正面に座って
ぅわーゆうくらい何の感情もなく、そこでうさぎと対峙し続けた。

 

花弁がひとつ、音もなく地面に落ちて
なんだかとてもくだらなくて切実なことを後悔した。

 

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060603

6月3日、ネオナチのデモ。

 

ネオナチの蜂起デモなのか、アゲインストの撲滅デモなのか
昨日から情報が錯綜してたけど、結局両方だった。

 

タマゴとニワトリみたく始まりが見えないまま
右翼と左翼 互いがなにか目に見える形で叫んだ。

 

戦争が遠い。

 

それは自分が殴られていないからで
もう殴られているのに、そのことに気づきさえしてないからなのだった。

 

東通りの駅が1つ封鎖される。
緊張感のない警備員が、電車から乗客が降りてこないようにホームをぼんやり眺めた。

 

中央駅では談笑しながらポテトを食べている警官達が
連なったバンとバリケードの前に透明の盾を立てかけて通りを封鎖した。

 

パンを齧りながら、バリケードをくぐってアトリエへ。
ラジオで警官が一人やられたというニュースが流れた。

 

晩までクラウスらとレコーディング。
レコーディングが終わって中央駅に戻ると
サッカーファンとパンクとデブなおばちゃんの色なす、いつもの風景。

 

家の前で、弁護士のヨハン(仮名)に会う。
話題がないのでデモの話をすると、

 

『なあ。おれは、ナチスが嫌いだ。』

 

と、居心地わるそうに言った。

ヨハンが突然申し訳なさそうなことに とても尻が痒かった。

 

大学のとき、ナチズムの論文を書いた。

 

ナチスという体制そのものよりも
1938年にそこにおった隣のおばちゃんがスーパーでネギを選び、
夕ご飯がおいしく作れたかどうかにアタマを悩ませていたその部分だけ
古くさくてテンションの低い資料の山から抜粋し続けた。

 

口頭試問では『内容はさておき』的な空気が部屋に立ち込め、
こと資料の量だけが取り沙汰された。

 

ハイネマンさん(83)の一日で試問の15分を埋められないことが
凄惨で平らな世界の定理を小気味よく示して、
塹壕の中に残った思い出と冷蔵庫の中に残された記憶は
時間の流れとは無縁に、とても静かだった。

 

ここから見える景色は、いつも『それがそこにあることの証拠』みたくそこにある。

 

突然の強い風が6月の街路樹の葉を揺らし、
まだ少し揺れる葉がすぐさま、それが5秒前の’真’であることを立証するふりをする。

 

『本当』であることに少しのブレも許さない静かで杜撰な思いは、
時間によって削られることなく、曖昧で起点のしれない歴史になる。

 

ぼんやりと翳ってきた土曜日の空が
なんだかとても大幅で深刻なヨソ見をしてる気がして
ボンヤリ見上げていると、雨。

 

目薬もちゃんと入れられないのに、ちゃんと網膜に着地して
しばらく一人モがく。