ニッチ
アトリエ帰り、終電を待ってハンバーガーショップ。
ドイツのくせに珍しく、ポメス(フライドポテト)がマズかった。
味を薄めた片口イワシみたいなポメスを齧りながら、
垂れ流されてるドイツテレビを、見るでもなく眺める。
ところで 窓際に座ってるじいさんが動かない。
ここで突っ込みを入れて然るべき、という絶妙な間で
じいさんは思い出したようにカップを口に運ぶ。
テレビよかよっぽど面白かったので、
ずっとじいさんを眺めていた。
するとじいさん、突然向きを変える。
しまった!と思った時にはもう遅かった。
動かなかったじいさん、なぜか口は動く。
ただでさえドイツ語わからないのに、
じいさんイタリア系らしく、aber (アーバー、”しかし”)が
アーベル(椎名林檎マキ舌)になってる。
悲鳴をあげそうになった。
薄ら笑いを浮かべて、なにひとつ理解していない日本人と
その前で何故か満足気な、テンションの低いラテン老人。
テレビからはライオネル=リッチーの甘いバラードが流れはじめる。
バーガーショップ店内は、さながら地獄絵図の様相を呈してきた。
ブラウン管の向こうでは、ライオネル=リッチーが
よだれ垂れそうなほど歌い上げている。
白目をむきそうな勢いだ。
かえてこちらは、口は開いたものの相変わらず時間の流れを無視した動きの
老人が、壊れたエスカレーターみたいな動きで、カップを再び口に運ぶ。
できれば、リッチーになりたかった。変わってほしかった。
黒くてもいい。変なアフロって人に後ろ指さされても構わない。
白目をむきヨダレを垂らし『自分のことで手いっぱい』感を世界にアピールしたい。
じいさん以外、時間は確実に流れた。
終電くるのでサヨウナラ、言うと
待ってたら終電をのがしそうなくらいゆっくり、彼は手をあげた。
『よい夜を』
じいさんは言った。
終電に揺られながら、リッチーにならなくてよかったと思った。
向こうもだろうけど。
アフロはいいけど、リッチーはやだ。
自由はいいが金ないのはちょっとな、甘い声でリッチーは言った。