ウルトラ

ドイツ語の国民学校通ってたとき、
隣だったイラン人のじいさんの手の甲には、
青いトナカイの入れ墨が入ってた。

それは無力で、孤独で、ぼやけていて、
一生懸命なことをやる人からでる雰囲気にも似た
コッケイな図柄だった。

自信満々、欠落を衒(てら)わない。

それ、素敵ですね。というと、
彼は目を細めて、その由来を語りはじめた。

アラブ訛りのドイツ語、、てかアラブ語だった。

アルファベット書けないので、筆談もできない。
(‘r’ と ‘R’ が同じ記号て分かってもらうのにも、もっそ時間かかった。)

それでも青いトナカイの歴史は、
デタラメな記憶みたいに脳みそに優しかった。

誤解は言葉によってのみ引き起こされるわけではないけど、
いろんな矛盾が内包するその中身について
もうちょいウダウダ考えてみたくなった。

 

いやそれにしても、もうちょっとうまく描けなかったのか、
となかい。

じいさんそれ、、、、。
うろ覚えで描いたウルトラの父?