ハナビ
「先生あんな。」
むかし、家庭教師をしていた。
かけ算の4の段が大っ嫌いな男の子だった。
その子はいっつも、なんやかやと話をみつけては
どうでもいい話をふってきた。
ドリルなんて、まっぴらだったのだ。
そしてそれは、近年まれに見る素敵なひとときだった。
「打ち上げ花火あるやろ。」
ん?
「あの、デッカイほうのやつやで。」
ああ今度、河川敷でやるよなぁ。
「あの打ち上げ花火、ぜんぶウンコやったらどうする?」
心の場外ホームランをかっ飛ばした その台詞が、
今でも引き潮で打ちあげげられたクラゲみたく
ぺっちゃりと居座ってる。
30まえなのに、「うんこ」と聞くと
心ときめく。
やわで手垢のつきまくった物言いだけど、
この狭い了見の中以外で
このわやな判断保留の積み重ねの外側で
理想や現実をタカラかに謳うのを避けてみたい。
どんなインスタレーションより
どんなヴィジュアルアートより
夕陽はあかく
どんなセオリーや思想やコンセプトや哲学より
自身のありきたりな死に魂もってかれる。
近所のおばちゃんのウッカリ暴走に掻き消される芸術。
模倣が模倣にもなれないのも、
不完全や過程を盾にするのも、なんだかむず痒かった。
それより、
かけ算ヤだっていう真実と、
それが生み出した素晴らしいキセキに。
必然を越えて。
相手を思いやる優しさとは、ベツものなのだ。
一本の線が美しく見えるか見えないか、
名前や文脈を与うことにどれだけの価値があるんだろう。
たかくうちあがれ。
うんこうんこ。